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諫早簡易裁判所 昭和49年(ろ)4号 判決 1975年3月28日

被告人 松尾見吉

大六・三・二七生 会社員

主文

被告人を罰金二〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

本件訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は長崎県諫早市天満町三六一番地所在の株式会社岡本双輪社の代表取締役(専務)として、同会社の経理その他の事務を担当すると共に、同会社の業務全般を統轄掌理し、同会社の振出にかかる約束手形、小切手については、これを確実に決済して、これが不渡りとなることを防止するように努めるべき任務を有したものであるところ、右任務に背き、六か月内に二回以上小切手の不渡処分を受けさせ、よつて、同会社に対し、諫早手形交換所における「銀行取引停止処分決定」を受けさせ会社を害する目的をもつて、昭和四八年五月三、四日ごろ、同会社内において、同会社の代表取締役岡本隆司名義をもつて、

(1)  金額六拾万円也、支払人株式会社十八銀行諫早駅前支店、支払地および振出早諫市、振出日昭和四八年四月三〇日、

(2)  金額参拾万円也、その他の記載事項右(1)に同じ

の表示をした、小切手各一通を作成して、振出し、かつ、その際右(1)(2)の小切手の裏面にそれぞれ被告人の個人名義をもつて、裏書をして、自らこれを受領し、右小切手二通の所持人となつた上、被告人は、

一  同年五月四日、支払人である右十八銀行諫早駅前支店における右岡本双輪社の当座預金残高が、右(1)の六〇万円の小切手の決済資金として不足することを知りながら、情を知らない長崎相互銀行諫早支店係員に右小切手を交付して、これが取立てを依頼し、同係員をして、同日、右十八銀行諫早駅前支店に支払のため、右小切手を呈示させたが、「預金不足」の理由により、支払を拒絶された結果、振出人である株式会社岡本双輪社をして、所持人である被告人個人に対し、右小切手の遡求支払義務を負担させ、もつて、右会社に対し、財産上の損害を加え、

二  同年五月七日、支払人である右十八銀行諫早駅前支店における右岡本双輪社の当座預金残高が前示(2)の三〇万円の小切手の決済資金として不足することを知りながら、情を知らない長崎相互銀行諫早支店係員に右小切手を交付して、その取立てを依頼し、同係員をして、同日、前記十八銀行諫早駅前支店に、支払のため右小切手を呈示させたが「預金不足」の理由により支払を拒絶された結果、振出人である株式会社岡本双輪社をして、所持人である被告人個人に対し、右小切手の遡求支払義務を負担させ、もつて、同会社に対し、財産上の損害を加え、かつ六か月内における二回にわたる右小切手の不渡りにより、同年五月八日、諫早手形交換所をして、株式会社岡本双輪社に対し、「銀行取引停止処分決定」をさせ、よつて、同会社の長年にわたり同一事業を経営した老舗としての信用を失墜させ、もつて、同会社に対し、財産上の損害を与えたものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人および弁護人の主張に対する判断)

一  被告人および弁護人は、

被告人は「会社を倒産させて財産上の損害を加える目的」はなかつた。株式会社岡本双輪社の社長である岡本隆司は橋本弘平および岡本信一郎らと相謀り、同会社の債務のため、担保となつている岡本隆司名義の不動産を自由に処分するために右会社を偽装倒産させようと企画していたので、被告人は、これを察知し、その陰謀の先手をとり、これを防止するため、本件小切手二通を不渡りにしたものであつて、被告人は、専ら、右会社の利益を図る目的をもつて、本件小切手の振出、支払のための呈示行為をしたものであり、これをもつて、同会社を倒産させようとか、財産上の損害を加えようという目的もなかつたし、そのような事態の予見もなかつた旨、主張するが、岡本隆司らにおいて、同会社を偽装倒産させようとの企図のあつた事実を認むるに足る証拠はないので、被告人および弁護人の右主張は、その前提を欠き、到底、これを採用することはできない。

二  被告人および弁護人は、被告人は株式会社岡本双輪社に対し、本件二通の小切手金額以上の債権を有していたから、右小切手の不渡により、同会社が被告人に対し、遡求支払義務を負担するに至つたとしても、被告人は同会社に財産上の損害を加えたこととなるものではない旨、主張するところ、本件小切手二通が、被告人の同会社に対して有する債権の支払のため、振出されたことを認むるに足る証拠はないので、被告人が、同会社に対し、小切手金額以上の債権を有したからというて、同会社が本来負担すべきでない右遡求支払義務を負担させながら、財産上の損害を加えたことにならない旨の論旨は、いささか理解に苦しむところである。

もつとも、被告人は、専ら、同会社に「銀行取引停止処分決定」を受けさせる目的をもつて、本件手形二通を振出したものであることが認められ、その不渡りの結果、当然発生する遡求請求権については、これを行使する意思のなかつたことは窺われるのではあるが、本人に約束手形の裏書人としての義務を負担させた場合、本人が現実に償還義務を履行しなくても、財産上の損害を加えたものとなる(大審院大正二年四月一七日判決、刑事判決録一九輯五一一頁参照)のと同様に、被告人において現実に遡求請求権を行使する意思はなく、また、たとえ、後日になつてから、本件小切手二通を、被告人の同会社に対する債権の支払のために振出したものであると理屈づけたとしても、不正な目的で振出された本件二通の小切手につき支払拒絶をされた時点において、振出人である同会社は、所持人である被告人個人に対し、いわゆる法定責任として、小切手法第四四条に規定する金額につき、遡求支払義務が発生するものであつて、それは本来負担すべき筋合でない債務を負担させたこととなり、同会社に対し財産上の損害を加えたというべきであるから、被告人および弁護人の右主張は失当である。

三  弁護人は本件において、被告人が小切手二通を振出した行為以外には、被告人の会社における「職務上処理する事務」は存在しない。すなわち、本件小切手の取立を依頼したのは、個人の資格における被告人の行為であるし、支払を拒絶したのは、銀行であるから、この点においても、被告人の本件行為は特別背任罪の構成要件に該当しない旨、主張するところ、被告人は、判示職務上の任務を有する代表取締役でありながら、自己の会社に対し、「銀行取引停止処分決定」を受けさせるという不正な目的をもつて、本件小切手二通を敢えて振出したものであり、その振出行為自体が、すでに、職権濫用であり、代表取締役としての任務に背くことは明白であるし、その小切手の支払のための呈示行為は、個人たる資格のものであつても、被告人が予見したとおり、不渡りを生ぜしめ、よつて、株式会社岡本双輪社に対し、遡求支払義務を負担させて、財産上の損害を加えたものであるから、被告人の本件所為は商法第四八六条第一項に規定する特別背任罪の構成要件に欠くるところはないと、いわねばならない。

四  弁護人は、特別背任罪における「財産上の損害」とは、財産上の価値減少を意味し、その財産とは全体財産(財産状態)を意味する(註釈刑法6・二八九頁)から、本件訴因における「信用」とか「経営」とかの概念は、同罪における「財産」に当らないと主張するところ、前掲標目の各証拠によれば、被告人が代表取締役をしていた、株式会社岡本双輪社は、長崎県諫早市において、二十余年間にわたり、同一事業である自転車販売業を経営していた老舗であると認められ、右会社は判示のとおり、被告人の所以に因り、諫早手形交換所における「銀行取引停止処分決定」を受くるに至つたため、老舗としての信用を失墜して、著しく経営を困難にし、右「銀行取引停止処分決定」を受けた、三八日後である昭和四八年六月一五日ごろ、解散決議をなすのはやむなきに至つた事実が認められる。

商法第二八五条ノ五および同条を準用する有限会社法第四六条は、一定の場合において、「暖簾」を貸借対照表の資産の部に計上することができる旨規定しているところからみても、「暖簾」は営業財産の一種というべきである。そもそも、英米における「グツド・ウイル」は「得意先」とか「暖簾」とか訳されるが、元来は正直なよく働く者として、個人のよき評判を意味したものである。そのよい評判は営業上きわめて重要であり、営業に影響することが多いので、営業の発達にともない法律上の財産として認められるに至つたといわれている(有斐閣発行・民事法学辞典上巻一〇四頁、一〇五頁参照)。わが国の法制下においても、老舗としての信用は、「暖簾」の重要な要素をなしていることは公知の事実である。従つて、地方の中小企業にすぎない株式会社岡本双輪社が、被告人の本件所為に因り、「銀行取引停止処分決定」を受けさせられたことは、商事会社である同社にとつては、営業上、致命的ともいうべき重大な信用失墜に該当し、即、営業財産である、「暖簾」の価値を著しく減少させたものと認められるから、財産上の損害を与えたものというべきである。従つて、「信用」とか「経営」とかの概念は、特別背任罪における財産に該当しない旨の弁護人の主張は、採用することはできない。

(法令の適用)

法律に照らすに被告人の判示所為は、その犯行目的より観察するときは、商法第四八六条第一項に規定する特別背任罪の包括一罪と認められるので、所定刑中罰金刑を選択し、罰金等臨時措置法第二条をも適用して、所定罰金額の範囲内において、被告人を罰金二〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条の規定を適用して、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、なお、本件訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、その全部を被告人の負担とする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 龍田義光)

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